矢巾町煙山に、南部のお殿様の作った志和稲荷街道が往時の姿を残してひっそりとたたずみます。写真では伝わりにくいですが、4車線ほどの幅があり、道脇には20mを超えるアカマツの大木が並びます。
「天喜五年(西暦1057年)源頼義・義家が安部一族の征討のため下向され、志和陣ケ岡に滞陣中、祈願のために勧請され、その後藤原秀衡管領のとき藤原氏の一族樋瓜俊衡、同季衡が再建され、その後正平年間(1346年~1470年)足利氏の一族斯波家長が志和城主のとき社殿新築、その後は斯波氏累代の崇敬厚く、七代詮直の代に再建せられた。ついで天正十六年(1588年)斯波氏に代わって南部氏の領となり、南部氏代々の祈願所として歳々に直拝され、社領奉納普請を重ねられた外、盛岡から五里の間「志和稲荷街道」の参道をも開かれた。」(志和稲荷神社御由緒より)
つまり、盛岡から現在の紫波町の志和稲荷神社まで20kmほどの参道が作られ、今はその内の約300mほどが往時の姿を残しているというわけです。
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