北京パラリンピック
にむけて
『今回、平昌パラリンピックに続き、北京大会の候補選手に推薦していただきました。
この4年間、長いようで、短い間、多くのことを学び、そして、気持ちの面でも肉体的にも成長できていると感じています。
嬉しいという気持ちとともに、プレッシャーも感じています。前大会は、初めての参加で、良い意味で、のびのびと滑ることが出来ました。しかし、今回は2回目の挑戦で、経験しているからこそ少なからず、不安要素が増えています。
ですが、この4年練習していたことを信じ、やり遂げるだけです。4年前の自分をこえ、成長した姿をお見せしたいと思います。』
令和4年2月5日 髙橋幸平
(写真は令和4年2月5日、地元の白山神社で出発のご挨拶。明日から長野県で国内合宿が組まれ、代表選手に正式決定すればそのまま2月25日に北京に出発します。)
『3月13日北京パラリンピックが閉幕しました。
多大なるご支援、そして、多くの応援メッセージをいただき本当にありがとうございました。また、大会関係者(スタッフ)の方々やチームメイトの皆様に本当に感謝しております。
今回、北京前の事前合宿にて、練習バーン下見の時に思わぬところで大転倒をしまして、右膝の骨挫傷を起こしてしまいました。そのため全種目の出場はかなわず、1種目(最終日の回転SL)だけの出場となり、うまくいかない時を乗り越えての出場となりました。結果は45人出場(スタートリスト)の12位となり、思ったより結果が伸びませんでしたが、けがをしていた中で、ゴールできたことは、とても嬉しく思います。
この結果は必ず次へとつながります。
今回2本滑り切り見えてきた課題があります。1本目は、練習してきたような旗門と旗門の間隔で、滑りやすいセットでした。が、思った以上に、けがの影響があったからなのか攻めきれずに右外側に板を振ってしまうのが目立ったと思います。右足に障害があるとはいえ、最初の緩斜面で、板を振るのは、スピードを失ってしまう、やってはいけない行為でした。戦略として板を振るなど一ミリも考えていなかったので、体との対話ができていなかったのでしょう。
2本目は旗門と旗門の間が狭く、きついセットでした。思った以上のセットのむずかしさに驚きが隠せませんでしたが、そのなかでも滑ってくる選手との実力の差を見せつけられました。
この2つの課題から今後は、色々なセットに挑戦し対応力のある選手また、自己管理ができる選手になっていきたいと思っております。』
令和4年3月18日 髙橋幸平
北京パラリンピック
を終えて
応援メッセージ紹介
パラリンピアン髙橋幸平選手を支援する会主催激励会
矢巾町の高橋昌造町長様には日頃より熱烈な応援を頂いており、北京パラリンピックにむけて支援する会を立ち上げていただきました。支援する会の川村勝弘会長様主催で2月5日に激励会を開催していただき、高橋昌造町長様、藤原由巳矢巾町議会議長様から激励の言葉を頂きました。
また、幸平の先輩のパラリンピアンであり、幼少時からみて頂いている横沢高徳参議院議員様にもわざわざ駆けつけていただき、熱い応援の言葉を頂きました。
当日は参加人数を絞って開催されたのですが、矢巾町スキー協会、矢巾ジュニアスキーチームから幸平を指導していただいた先生方が出席くださり、幸平も出発を前に意を新たにしたところです。
矢巾町種市啓孝様ご夫妻
矢巾町の種市様は、1964東京オリンピックの聖火ランナーを務められた方です。幸平が2020東京オリンピックの聖火ランナーを務めさせていただいた時に面会させていただき、それ以来熱烈に応援を頂いています。
今回も色紙を作っていただき、わざわざお持ちいただきました。孫のように思っているので応援するとおっしゃっていただき、幸平も力強く思いながら国内合宿に出発していきました。
トンガラシマン+1 様
”笑顔と感謝を忘れず楽しんでよ~ 今持っている力を発揮できますように。テレビの前で応援しています。”
(管理者追記:トンガラシマンさんは学校の先生。トンガラシマンさんは子どもの心の内側に飛び込んで指導することに卓越していて、トンガラシマンさんに感謝しているジュニアスキヤーは数知れずだと思います。幸平もその一人。幸平がパラの世界を本気で目指していることはあまり人には知らせないでいたのですが、この方はかなり早い時期にそのことに気付かれ、現在の姿を見抜いておられた。プロの先生(変な言葉ですが)というのは凄いものです。トンガラシマンさんは凄腕のスキーヤーですが、隣の美人のお嬢様もジュニオリ参加のトップレーサーです。応援感謝!!です)
岩手県立盛岡となん支援学校の小学部、中学部、高等部の生徒の皆様
岩手県立盛岡となん支援学校(横澤 修 校長先生、矢巾町医大通)の小学部、中学部、高等部の生徒の皆様から応援ビデオをいただきました。
盛岡となん支援学校は、主に肢体不自由のある児童生徒を対象とした県立の特別支援学校であり、以前は盛岡市にあって、幸平は併設する療育センターに通っていました。
応援ビデオを拝見し、嬉しく、そして有難く、涙がでました。
手のこんだ応援グッズを用い、何回も練習したであろう応援をしていただきました。
みんな身体に不自由があるのですが、それぞれの精一杯の表現で応援していただいていることが伝わり、本当に勇気がでました。
応援ビデオは早速幸平に送り、幸平も見ています。彼も本当に勇気をもらったと思います。みんな本当にありがとう!
(ビデオは勝手に公開するわけにもいかず、写真はビデオの一部を静止画としたものです。こんな手の込んだ応援が続くんですよ!)
一般社団法人笑い文字普及協会 中級トレーナー 金崎結子 様
一般社団法人笑い文字普及協会に矢巾町の会員がおられ、幸平を応援したいとのことで「笑い文字」を使った応援ポストカードをいただきました。
少しでもホッとする気持ちになってもらえたら、ということです。
笑顔をみているとほっこりします。幸平に送ったら、笑顔がいいね!と喜んでいました。
矢巾町立矢巾東小学校の生徒の皆様
矢巾町立矢巾東小学校の生徒の皆様から、応援の寄せ書きを送っていただきました。
矢巾東小学校は幸平の母校で、楽しい思い出の詰まっている学校です。後輩のみんなから、こんなにも思いのこもった応援をいただき、嬉しいかぎりです。
北京の空に日の丸を掲げられるよう頑張ります!
パラリンピアン髙橋幸平を応援する会のテレビ観戦会
北京パラリンピック最終日の3月14日に、やっと出場が叶いました。
パラリンピアン髙橋幸平を応援する会の主催で立派なテレビ観戦会を開催していただきました。矢巾町スキー協会の昆 慶司さんのエール、村松輝夫会長(写真)の解説で会が進み、無事2本ともゴール。4年後につながる結果にほっと一息。大変ありがとうございました。
北京パラリンピック
本番
北京パラリンピック直前の国内練習で幸平は転倒し右膝を負傷しました。幸平に責は無い状況だったと判断していますが、結果として応援してくださった皆様のご期待を裏切ることとなり、大変申し訳なく思っており、お詫びいたします。
膝のケガは選手生命に関わるため、今後を考えて全戦欠場も止む無しと幸平に伝えていたのですが、本人としてはなんとしても出場せねばと考えたらしく、リハビリを続け、何とか最終日の最終種目に出場することができました。
前日には一か八か攻めていくと言っていたので心配していたのですが、1本目は十分に落ち着いていて、攻めと守りの絶妙のバランスで滑り切り、幸平の成長を感じることができました。2本目は旗門数の多い細かいセットだったらしく、完走できない選手が多くいました。そのような中で幸平は完走して12位に入ることができました。
通常は試合中に幸平から連絡がくるなどあり得ないのですが、今回は1本目が終わった段階で結果報告がありました。彼なりによほどのプレッシャーを受けていたらしく、完走できたことがよほど嬉しかったのだと思います。スキー競技は、完走して順位がつくことは最低でも果たすべきことであり、特にもこのような大切な試合で2本まとめることができたことは多いに誉めてあげたいです。
2本目を滑り終えた後、しゃがみ込むような姿勢をみせました。完全に体力不足だったわけですが、今回は3日前に雪上練習を始め、滑走本数も数本だけだったことを考え合わせると12位という結果でしたが、それは仕方のなかったことだと思います。まずは1戦だけでも参加し、応援くださっている皆様にその姿を見せ、結果も残せた点で十分に頑張ったと思います。
男子SLー1
男子SLー2
男子立位チーム紹介
三澤拓選手(LW-2、長野県)
写真は海外遠征中の一コマで、宿題をしている幸平に対し、それでいいんかい!的なつっこみを入れている三澤さん、という場面らしいです。年齢順だと小池さん、三澤さん、幸平の順で、3人の関係を兄弟に重ね合わせる何だかしっくりきます。人格者でどこに出ても恥ずかしくない小池さん。幸平を正しい道に導いてくれます。それはそれで良いけれど、少しは悪いことも覚えとかないといかんぞ、と人生の幅を持たせてくれる三澤さん。二人の兄貴の苦労に気づかずのほほんとお世話になっている幸平という図。
少しぶっきらぼうで、ファッションも最近の若者風なため、少し怖い人なのかも、と身構えてしまう三澤さんですが、笑うと途端に人懐こい顔に変わります。特に最近生まれたお子様のこととなると目じりが下がりっぱなしのようです。
以前、三澤さんが秋田県の菅選手と話しこんでいるのを見たことがあります。菅選手は県協会の選手で、三澤さんと同じクラスの選手です。別にナショナルチームの選手と県協会選手が仲が悪いというわけではないのですが、一緒にいることも珍しいので覚えています。三澤さんは「片足スキーヤー」と自称していますが、「片足スキーヤー」であることに誇りと自分の存在意義をかけているのだと思います。そして、パラ選手の中でも同じ障害をもつ片足スキーヤー同士だけが分かりあえる仲間意識というものがあるのだと思います。
スキーでターンするとき、ターンの外側の足を外足、内側を内足と言います。外足1本で滑るのは難しくないのですが、内足1本で滑るのはとても難しいです。スキーの練習方法に片足で滑る練習があるのですが、私のような一般スキーヤーでは見るも無残な滑りしか出来ません。そもそも技術以前に内足1本で滑るのは恐怖との闘いとなります。外足1本で滑っているときにエッジを外しても(板が外側にずれる失敗しても)内足をついてやれば事なきを得るのですが、内足1本で滑っている時にエッジを外すと転倒しかありません。内足1本でターンをすることは命綱の無い綱渡りと同じです。別項で障害程度によるハンディキャップ係数の説明をしたことがあります。当然、片足で滑る選手にもハンディキャップ係数は与えられますが、そのハンディキャップは速さの補正はしてくれるかもしれませんが、転倒のリスクに対しては何の保証もしてくれません。片足スキーヤーは失敗即転倒の世界で生きています。個人的趣味に重ねて恐縮ですが、三澤さんを見ているとオートバイの2st250のGPレーサーに重なります。狭いパワーバンドのエンジンを駆使して1本だけの最速ラインにのせていくカミソリのような感性。もちろん健常者である私には三澤さんの世界を覗きみることはできないのですが、同じパラアルペンレーサーであっても片足の選手だけが知っている厳しい勝負の世界が確実にあると思うのです。
小池岳太選手(LW6/8-2、長野県)
写真は中学生の幸平がパラチームの合宿に体験参加させて頂いた時の記念撮影の1コマです。部外者の私は横から撮影しているのですが、小池さんがこちらに視線を向けてくれています。偶然撮れた写真ですが、この写真こそが小池さんという人物を物語ってくれています。
もう少し説明します。この時は、思い出づくりといった意味合いも含めてパラチームの合宿に招いていただきました。当然、将来パラチームの選手となれるとは招いたほうも招かれたほうも思っていません。選手たちからすれば、誰だか知らないけど子供がいる、という状態だったはずです。下手くそなりに滑っている幸平に声をかけてくださったのが小池さんでした。練習中はもちろん、練習後も「お父さん幸平君をお借りします」といってフリースキーに連れていって教えてくれてました。今になってみれば分かるのですが、この2月の合宿は3月の海外試合に向けた大切な場で、はっきり言えば、自分の調整に手一杯で、人に構っている余裕など無かったはずです。そのような中、再び会うことが無いかもしれない子供のために時間を割いてくれるのが小池さんという人なのです。
小池さんは、日本体育大学でプロのサッカー選手を目指しておられたそうです。ですが、大学1年の時の事故で障害を負ってしまったそうです。お父様はスキーがお上手だと聞いたことがありますので、子供の頃のスキーの経験はあったのでしょうが、競技スキーを始めたのは事故後のはずです。その小池さんの滑りはとても上手です。成人後に競技スキーを始めたとは信じられない上手さです。ここ1,2年は技術系種目で幸平が勝つこともあり、もう幸平には敵いませんと言ってくれるのですが、とんでもない、小池さんのほうがはるかに上手で、幸平は小池さんを超えることを目標にまだまだ頑張らなければなりません。
それほど上手な小池さんをもってしても世界の壁は厚いのです。しつこく紹介して恐縮ですが、幸平の高校時代のレースポイントと同時期のパラレースのレースポイントから推察するに、パラで優勝するためには健常者の高校県大会優勝者、もしくはそれ以上の速さが必要となります。現在、男子立位の実測タイムでの最速レーサーはロシアの ブガエフ アレクセイ選手だと思いますが、その滑りは幼少期から鍛えた健常者のそれと同じレベルにあり、クラスの同じ小池さんはハンディ無しのガチンコ勝負でブガエフ選手に勝たなければなりません。
男子立位は出場者の多い激戦区です。(それに満足するかは別にして)棚ぼたで入賞は期待できません。常に限界を超えてプッシュしなければ勝負にならず、小池さんは引かずにプッシュするものだから、体は満身創痍です(これは三澤さんも同じ)。父親が言うと身内びいきになって信ぴょう性を失ってしまうのですが、一個人として冷静に小池さんと三澤さんを分析、評価すると、この二人は間違いなく一番厳しい壁に向かってチャレンジを続けています。
小池さんをインターネットで調べてみると高い社会貢献の意識をもって活動していることがよく分かります。他者への思いやり溢れるこの好青年に、幸多かれと願わずにいられません。
(もう1枚は、不自由でも工夫すればできる、といって口にワックスをくわえてワクシングする方法を教えてもらっているところ)
東海将彦選手(LW-3)
東海さんには幸平が大変お世話になっています。スキーを始めたのは中1と少し遅かったにも関わらず、スキーのため、英語を話せないにも関わらず単身米国にスキー留学したそうで、強い意志と行動力をお持ちの方であることが窺われます。推定の形で紹介したのは、東海さんは長く米国に活動の拠点をもっていて、私がご挨拶させていただいたのはコロナ発生直前の一度きりだからです。コロナが発生してから、私は選手に一切近づかないようにしているため、もっとお話しをお聞きしたいと思いながら実現できていませんが、遠くからご挨拶すると満面の笑みで挨拶を返してくださり、そのお顔を拝見しただけでも誠実なお人柄であることが分ります。
東海さんは、男子立位チームの中でただ一人の健常者競技スキー上りの選手です。幸平の話を聞くと、技術的なアドバイスに止まらず、練習方法や、生活の組み立て方まで専門的な指導をいただいているようで、男子立位チームにとってその存在は力強い限りです。また、余談となりますが、東海さんの道具は板もブーツも国産です。純日本で北京に羽ばたくことを期待したいと思います。
(写真左が東海さん)
青木大和選手(LW-3)
写真は右から青木さん、幸平、三澤さん。コース脇で観戦していた私に気付いてくれて手を振っていただいたので、思わず嬉しい一枚となりました。
ごめんなさい!!青木さんの写真はこれしかありません。というのも青木さんが出場するようになった頃はコロナが猛威をふるっていて、私は選手には一切近づかないようにしていたため、ご挨拶すら果たせていません。
幸平から聞く限りだと、パラ選手では珍しく私生活でも成功されている実業家だそうです。爪の垢でも幸平に分けてほしい。
青木さんはイタリアパラリンピックも視野に入れて活動されていくとのこと。今後ともよろしくお願いします。
おまけ
幸平にはとにかく写真を撮りまくってこい、と指示したのですが、さっぱりで、、、
選手村での食事は、盛付けセンスのない幸平も悪いのですが、中国4千年の味とは程遠く、かなりあっさりした味だったとか。ちなみにロボットではなく人が料理していたそうです。
みなさん、開会式、閉会式はどうでしたか?格調高かったのですが、私はもっとノリノリのほうが好みです(東京パラの開会式はとても良かった)。大部分のアルペン選手は翌日試合があるために開会式には出られず、閉会式は早々に指定席に押し込められて、結局幸平が行進しているところは見られず、がっかりでした。