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Kohei TAKAHASHI

Para Alpine Skier

岩手県矢巾町パラアルペンスキーヤー高橋幸平.jpg

私の目標

『初めまして。髙橋幸平と申します。今シーズンは、昨年実施される予定だった世界選手権(北欧)、そして、北京パラリンピックが開催されます。これまで、国内、海外で培ってきた技術を世界選手権でぶつけ、良い成績を収め、良い感覚のまま北京パラリンピックに参加できるよう準備したいと思います。世界選手権、北京パラリンピックともメダル獲得を目指しています。』

地域貢献の考え

『新型コロナウイルス感染症のため、トレーニングが十分にできないといった状況が続きました。日本国内では職を無くした人や、苦しんでいる方々がいる中、私達アスリートはありがたいことにトレーニングが再開され、海外スキー遠征も組まれるようになってきています。

 この様な状況でもスキーが出来ていることに感謝し、地元矢巾町や岩手県の皆様の応援に感謝してスキーに取り組んでいきたいと思います。

 また、盛岡農業高校で学び、私の心を動かし農業への関心が高まったのが「牛」でした。なんて純粋な生き物で、夢や希望を与えてくれるのだろうと思いました。

 私には一つの夢があります。「農業で頑張っている人たちを支え、農業に関わっていたい。」という夢です。将来は農業を通じて地域貢献を果たしていきたいと思います。』

応援のことば

スキー競技の結果指標にレースポイントという数値があります。
複数の試合結果を基に、その時点で1位の実力の選手を0とします。それを基準に、遅くなるほど数値が大きくなっていく相対的な数値です。偏差値とは算出方法が違いますが、イメージとしては似た感じで、トップ選手と比較した自分の実力を相対的にみることのできる数値です。

高校のスキー大会で(失敗した選手を除き)幸平は常にビリでした。
それは当たり前で、高校まで競技を続けるような選手は、中学時代から結果を残している有名な選手ばかりで、高校から本格的に競技デビューした上に身体的ハンデのある幸平が勝つのはかなり無理があります。

幸平が障害者スキーに加えていただけるお話をいただき、当時のヘッドコーチに初めてお会いした時に、「努力をすればワールドカップ、あるいはパラリンピックにも出場できるかもしれないが、金メダルをとるにはインハイで表彰台にのぼれる位の実力がないと不可能だ。尋常な努力では到底及ばない」と言われたことがあります。
その時はピンとこずに何を大げさな、と思っていましたが、今はよく分かります。
高校のレースに出場した時の幸平のレースポイントは130前後、同時期に出場した海外パラレースでのレースポイントも130前後。
そう、男子立位のパラの大会で優勝するということは、健常者の県高校1位にハンデ無しで勝つことと全く同義なのです。

新聞やテレビに取り上げられることがあるため、幸平は順風満帆の人生を送ってきたと思われているかもしれません。
でも、親である私はそうでないことを知っています。

全国小学生スキー大会の県予選に出場したことがありました。幸平くらいの練習時間をかけている子であれば、まあ、予選を通るのはそれほど難しくないといえるのですが、幸平は予選通過できず、一緒に練習していた子達は全国大会に進みました。

小6の時、町のスキー大会がありました。いつも練習に来ている小6は幸平を含めて3人で、他は来たり来なかったりでしたので、この大会なら3位に入ってメダルをもらえると期待しました。
誰よりも、私自身が幸平に成功体験させてあげたい、メダルを獲得をさせてあげたいと心から願っていました。
ですが、あまり練習に来てなかった子が出場してあっさり3位になり、幸平は表彰台にのぼれませんでした。
メダルをもらった妹の横で、参加賞をもらって写真に写っている幸平の心の内は伺い知れませんでしたが、私の心は張り裂かれんばかりでした。

中学で、幸平はハンドボール部に所属したいと言いました。
長男が所属していて、全国大会が現実的な目標である矢巾北中のハンドボール部のことはよく知っていたから大反対しました。
片手でどうやってあの高速パスを受けるのか、ケンケンすらできない足でどうやってジャンプシュートを打つのかと。
ですが、幸平は折れてくれませんでした。
そこで、たとえスキーの練習のためであってもハンドボール部の練習を休むことを許さない、という条件をだしました。
これは、私自身が矢巾北中のハンドボール部に誇りをもっていて、他のスポーツのために腰掛的に取り組むことを許せなかったのと、こう言えば諦めてくれるかもしれないと思って出した条件だったのですが、幸平は約束してハンドボール部に入部しました。

そして、その約束を3年間守り、ハンドボールに集中して取り組んだ上でスキーの練習も両立させました。
幸平はレギュラーにはなれず、出場機会も少なかったのですが、私も3年間本気で応援団を務めました(ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ハンドボールは組織だった熱烈な応援が行われるスポーツです)。
おまじないに近いけれど、幸平が出場した時は死ぬほど声だしをしました。1点、1点でいいから欲しかった。
幸平は頑張ったと思います。3年生の頃にはパスもシュートも器用にこなせるようになっていて、私は彼の頑張りを十二分に認めていました。
たが、最後の中総体では出場機会が無かった。試合前の練習で下級生にまじって壁の役をしている幸平を見るのは辛かったし、試合でもペナルティースロー役での出場すら無かった。
ハンドボール競技の厳しさはよく知っているから誰かを恨むつもりは全くなかったが、やりきれなかった。

言葉は良くないかもしれませんが、負け続けの15年でした。勉強は得意でないし、スポーツも結果がついてこず、努力を認めてもらえる機会がありませんでした。

これだけ結果がついてこないと、くさってしまって、何もやりたくない、と言い出しそうな気がするのですが、幸平はそうではありませんでした。
一つだけ、幸平はとても優れた長所を持っていると、確信をもって言えることがあります。
幸平は、予想される結果がどうであっても、チャレンジを放棄するということがありません。自分の進みたい道に飛び込む勇気を持っています。
努力することを最初から放棄しませんし、駄目だったら駄目で気にせず何度でも挑戦するのです。
私だったら、斜に構えて、そのことに取り組むことは興味無い風を装い、自分を守ろうとするのですが、幸平はそうしません。
まあ、能天気と言えば能天気だし、勉強に対しては都合よく対象外としているようなのですが、本当に神様が与えてくれた才としか思えません。一つくらいは頑張る才を与えておこうか、と。


高校に入学して、本格的に競技スキーの練習を始めました。
高校1年の時は箸にも棒にもかからない滑りだったのですが、恩師松浦高行先生のご指導のもと、高3の高総体県予選では立派に完走し、高校生スキー選手として恥ずかしくない滑りを披露しました。(実は、高校の試合に出て、見た目だけだったとしても遜色無いレベルで競技できること自体がすごいことだと思います。その辺の足自慢を何人連れてきたとしても絶対無理な話です。)
障害者スキー連盟の登録選手となり、県外での試合や海外遠征にも頻繁に出かけるようになりました。
幸平と一緒に夜通し高速を走り、窓ガラスの凍るなかで車中泊して試合地に行き、ワックスをかけ、コースを見ながらどうすれば早く滑られるかを話し合いました。
幸平ともつれるように取り組んだ日々はとても楽しく、役に立てているかと思うととても嬉しかった。

2020年2月13日、長野県菅平で開催されたジャパンパラアルペンスキー大会のGS競技でついにその時がきました(2017年の同大会SL競技でも勝っているのですが、この時はトップチーム選手は出場していないので、本当の意味での初優勝は2020年と言えます)。
コース中間の林の中で一人観戦していた私の前を、幸平はミス無く滑り去り、やがて風にのって聞こえてきたアナウンスは、1位となったことを教えてくれました。
幸平の努力が報われたかと思うと涙が溢れました。長かったとしみじみ思ったら余計に涙が溢れ、とめることができませんでした。

今シーズンは北京パラリンピックが開催されます。
大学に入ってから、幸平のレースポイントは100を切れるようになり、調子の良いときは60くらいまでだせるようになってきています。
でも、男子立位は出場人数、レベルとも激戦区すぎて正直いやになります。最初に説明したように、パラで優勝するには高校の全国大会で表彰台にのぼれる位でないと不可能な状況は今も変わりません。
「北京で金メダルをとります!」と言うのは、高校野球で言えば毎年1回戦敗退の高校が「花巻東高校に勝ちます!」と言っているのと全く一緒で、高校野球を知らない人は気軽に頑張れ!と言うでしょうが、知っている人からは何寝言言ってるの、と言われるのがオチでしょう。

幸平はスーパーキッズに選ばれるような子ではなく、運動が好きではありますが、特段人より秀でているわけではありません。
幸平の物語は、エリートのサクセスストーリーではなく、ただの牛好きの農業高校生が、間違って入ったに等しい高校スキーでもまれ、間違って入ったに等しいパラの世界で悪戦苦闘しながらも周りの人に助けられながら、あきらめずに進む物語です。
その将来は決して明るいようには思われません。ですが、幸平はどう思われているかは気にせず、北京でのメダル獲得にむけてただひたすらに努力を続け、全力で頑張るでしょう
私は、私の物差しで幸平の限界を決めつけるのではなく、ただ信じ続け、見守り続けたいと思います。頑張れと願いながら。

​父より

 

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